武断から文治政治三代目の将軍家光のとき,徳川家の全国支配のシステムが完成しましたよ。 ざっとこんな感じです。 ・武士(公務員)には政治と軍事を担当させる。 ・生産は農民がおこなう。農民が公務員に刃向かわないように,農民には武器は持たせない。 ・地方は知事(各藩の大名)に任せますが,妻子は人質として江戸に住んでもらうからね。大名たちは一年ごとに江戸と自分の領地の間を行き来してもらい,たっぷり金を使ってもらうからね。江戸の土木工事だって地方のあなたたち大名に負担してもらいますよ。いやならいいよ,あなたたちに与えた領地は取り上げてしまうからね。そうすれば,あなたたちは住むところのないフリーターになっちまうよ。 ・あなたたち大名だけでなく,天皇や公家さんたちにも行動は制限させてもらいますからね。あまり勝手なことされて,私たち徳川家の地位が脅かされては困るからね。 ・それからね,外国のことなど知らなくていいからね,知らぬが仏と言うじゃない。みんな平和で幸せならこれでいいじゃないの。 徳川家はこの方針を強行したのですね。いやならいいよ,土地は取り上げてしまうからね,と脅してですから。もちろん国民に不満はたまりますよ。改易のために自分が仕えるお殿様を失った浪人は幕府を転覆させようと思いますよ。じゃテロ計画を,となりますね。実際に起こりましたね。慶安事件でした,由井正雪らによるテロ計画が発覚しましたね。だから,強硬策をこのまま続けるならあちこちでゲリラ活動が始まるのは目に見えている。 でも四代将軍の家綱は賢かったですね。この武断政治,つまり力で支配する強硬策はもうやめようじゃないか,家光までで体制は整ったのだから,こんどは内面から改革しようよ,ということになった。それで思想教育を徹底しよう,となったのですね。儒学の登場,学問の奨励,文治政治のはじまりですね。 ジャンル別一覧
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